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教会ビジョン 【 ​4+1のステップ 】

ステップ1 神のことばに根を下ろす (コロサイ人への手紙 2章7節/2019年~)

ステップ2 祈りと交わりにおいて、組み合わされた幹となる (使徒の働き 2章42節/2021年~)

ステップ3(枝を伸ばし、広げる) 泉のほとりの実を結ぶ若枝、その枝は垣を越える (創世記 49章22節/2024年~)

ステップ4 豊かな実りと収穫のために力を注ぐ (仮称) 

+1のステップ 新しい地に実を植える(仮称)

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所 属 
私たちは 日本聖契キリスト教団 の教会です。
日本聖契キリスト教団は関東を中心に20の教会があり、
群馬県内には前橋の他に、渋川市(渋川カベナント教会)と伊勢崎市(伊勢崎聖契キリスト教会)に教会があります。


歴 史

*1963~1967 ウェストバーグ宣教師 「前橋クリスチャンセンター」設立
*1965~1968 クリスターソン宣教師
*1968~1971 クリステンセン宣教師
*1968~2016 松本芳三牧師 名称を「前橋聖契キリスト教会」へ変更(1969年)​
*2016~ 清野使門牧師



私たちの信仰 
(以下は日本聖契キリスト教団「カベナントの主張」に準じています)
1. 神のことばの中心性
私たちは、聖書が信仰、教理、行為の唯一完全な模範であると信じます。変革をもたらす神のことばのダイナミックな力は、教会とキリスト者の人生を導きます。神のことばが中心であるゆえに、教会は多様性を認めます。また、神のことばが中心であることは、教会があらゆる憐れみと慈しみと正義の行為を実行する動機となります。

2. 新生の不可欠性
キリストにある新生とは、キリストにコミットし、赦しと受容と永遠のいのちを受け取ることを意味します。それはキリストにあって生きることを意味し、このいのちは愛と義、喜びと平安の特質を有しています。新生ははじまりに過ぎず、キリストにある成熟へと成長することは、個人の共同体の双方にとって生涯続くプロセスです。そして神は、キリストによって変革された人々を通して、世界を変革します。

3. 教会の包括的宣教に対するコミットメント
宣教のわざは福音伝道、キリスト者の育成、憐れみと慈しみと正義のわざを含みます。そして私たちは二つの中心的な召しに従います。ひとつは大宣教命令(マタイ28:19-20)であり、全世界に出て行ってキリストに弟子を作ること。もうひとつは、二大基礎律法(申命記6:5、レビ19:18)であり、神である主を愛し、隣人を自分のように愛することです。

4. 信徒の交わりとしての教会
イエス・キリストに対する個人的な信仰の告白こそ、私たちの教会の会員籍です。それゆえ、それはすべてのキリスト者に開かれています。私たちは洗礼と聖餐を尊び、実行します。また、私たちのすべてが神の祭司(万人祭司)として、教会の宣教を共有すると共に、神は特定の人々を専門的な、あるいはフルタイムの働きに召すことを信じます。教会は機関や組織、建物ではなく、イエス・キリストのいのちと宣教に参与するキリスト者の恵みに満ちた交わりであり、私たちは神の前に平等な家族です。

5. 聖霊への自覚的依存
私たちは、父・子・聖霊なる唯一の神という三位一体を信じます。新約聖書は、聖霊が個々の内側と、私たちの間の両方で働くと教えています。聖霊は私たちに働きかけ、キリストへの​信頼を起こさせ、キリストが内に住んでいることを確信させます。聖霊はキリストへの従順を可能にし、私たちをキリストのからだへと一致させます。また、世界における継続的なキリストの宣教を可能にするのは、私たちの内にいる聖霊です。聖霊は私たちに霊的な賜物を分け与え、キリストのからだとして私たちを結び合わせます。

6. キリストにある自由の現実性
キリストにある自由は神からの賜物であり、神および他者との正しい関係として現れます。それは、利己的に用いるためのものではなく、共同体とこの世に仕えるために与えられるものです。この自由はまた、分裂を引き起こしやすい私たちが、そこから解放されることを意味しており、実践的な事柄において互いが異なっていてもよいという、互いに対する自由をも提供します。私たちは自分たちを分割するものよりも、キリストに従う者としてひとつにするものに注目するように努めます。


牧 師

清野使門(せいのしもん) 
1978年生まれ
2016年4月より前橋聖契キリスト教会牧師
妻・結実子と一女四男の七人家族​
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